自治会 沿革

東柏ヶ谷四丁目自治会の沿革

平成26年3月8日 一部改訂

戦前

この地は、昭和18年(1943年)に、現在の厚木基地の前進である【相模野海軍航空隊(厚木戦闘機隊)】の【高座海軍工廠(航空兵器製造工場)】として、30万坪の用地・工員3万人・生産6,000機の計画が座間市と海老名市にまたがり計画されました。
そして、12歳から19歳の優秀な少年約8,000人が大和市を中心に暮らしていました。
更に知りたい方は 0462.net の まめこぞうの旅 座間の歴史探検 または 大和市ホームページ をご覧下さい。
高座海軍工廠のページは他にも多数あります。

終戦直後

食糧難を解消するために昭和23年(1948年)、現在の東柏ヶ谷三丁目・四丁目に30世帯が入植し【高座開拓組合】を結成し農業を始めました。当時は、高座郡海老名町柏ヶ谷字大道付19XX番地の表示で、大道付(おおみつけ)は電柱や公園の名称に今でも活きています。
現在の5丁目・6丁目に【晴耕開拓組合】、大綾瀬市大上にもうひとつの開拓組合がありました。
といっても、農業機械の無い時代に工場跡地を開墾(畑にする)にはコンクリートを剥がし砂利をすて耕すという大変な重労働で農具(リヤカー、つるはし、スコップ、鍬)も消耗が激しく、頓挫する世帯も数件あったようです。
当然のことながら当時は資材不足であり、建物は自然にどこかに消えていきました。公然とそれが許される時代でもあったようです。

農業に灌水は欠かせません。
昭和23年(1948年)から昭和38年(1963年)の足かけ16年をかけて、相模原から藤沢・綾瀬までの台地上に、食糧増産、畑作農業の経営安定化・収量増加を狙って作られた農業用水路。
しかしながら、昭和30年代に入り、都市化や工業化の波にのまれ、竣工とほぼ同時に使われなくなった悲しい歴史を持つのが、さがみ野駅南北(座間と東柏ヶ谷)にまたがる【さくら並木】の歴史・名残です。
詳しく知りたい方は、東柏ヶ谷育ちの さかた氏 のホームページ 相模原畑地かんがい用水路跡を歩く をご覧下さい。

四丁目自治会の誕生

昭和52年(1977年)5月に住居表示変更に伴い、今までの自治会(現3丁目と4丁目合同)が解散し、各々で自治会が発足しました。
しかしそれ以前も【高座開拓組合】組合事務所を自治会活動の拠点として借用していましたので、新自治会の要望、【高座開拓組合】の解散話もあり、組合事務所用地(現3丁目自治会館からさがみ野診療所までの約300坪)を2分して、各々の自治会集会所が必要であろうと組合員の方々からの声もあり、四丁目自治会館の用地150坪が確保されました。

四丁目自治会の建設

昭和53年(1978年)7月に【東柏ヶ谷四丁目自治会館】が建設され、現在に至っています。
当時は433世帯でしたが、1,200世帯を超え、約3倍となりました。
世帯数増加と高齢化への対応策が求められていることは当然のことでしょう。
東柏ヶ谷小学校への通学路(中村屋と旧東洋電機の間の細道)も高座開拓組合員の志で寄付された土地が当てられました。